75回目の終戦の日 | bonbonの日常と非日常
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まりあまり

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日々の暮らしなどの日常と歌舞伎、文楽、落語、旅行などの非日常を綴っています

75回目の終戦の日

2020/08/15 08:45:47 | 日々の暮らし | コメント:0件

「降伏の日を知らぬまま奪われしいのち思えと蝉なきしきる」

栗木京子氏の句です

今日も朝から蝉がなきしきる・・命思え、と

太平洋戦争開戦の昭和15年に生まれた

終戦の時は父親の郷里へ疎開していた

疎開先で国民学校1年生になり、1年生の3学期に神戸へ帰った

疎開先の事は何も憶えていないが

母親が電熱器でパンを焼いてくれた光景が薄ぼんやりと浮かぶ

藁草履を履いて田んぼのあぜ道を歩いて学校に通った様な記憶もあるが

それが記憶なのか、何かで読んだ事なのかも定かではない

姉の幼稚園の卒園式

私たち姉妹2人だけが出席して、園長先生から卒園証書を貰ったのよ・・と後に母から聞いた

父親の実家の離れでの生活は都会育ちの母親には不満が多かった・・と思う

月に一度だけ訪ねて来る父親を母子3人で待ちに待った

敗戦というものを知らない子供だった日々

ただただ神戸に帰れて父も一緒に暮らせる嬉しさだけが、今も記憶の底に残る

4歳で父親の赴任地から帰国した

まだ自由に内外を往来できた最後だったらしい

母は生涯に渡って・・あの時に帰国して良かった・・と話していた

疎開していた家財道具は戦災で焼失し、別の所へ疎開した私たち3人は戦火に遭わずに済んだ

蝶よ花よ・・として育った一人娘だった母親の金襴緞子の衣装やピアノは焼けてしまった

きっぱりとして潔い母親の生き様が、子供心に頼もしかった

その母も73歳で逝き、同じ年に父親も80歳で後を追った

両親の歳を超え、戦後の混乱の中、何不自由なく育ててくれた両親を想い

日本の戦後の復興と高度成長を担った世代へは感謝しかない



コロナで試される人間の限界

打ち勝つ英知を持たねば・・と思った

敗戦の日の朝です

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